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7月08日

林眞須美死刑囚長男新刊『もう逃げない。いままで黙っていた「家族」のこと』特設ページ(2019/07/08)

いまから21年前の1998年7月25日、
和歌山市園部地区で開かれた夏祭りで
提供されたカレーライスにヒ素が入れられ、
それを食べた67人が急性ヒ素中毒となり、
うち4人の方が死亡した「和歌山毒物混入カレー事件」。
その“犯人”として逮捕され、
「動機なし、自白なし、物証なし」という
異例の状況で死刑判決が下された
林眞須美死刑囚の長男が沈黙を破って、
初の著書を刊行しました。
タイトルは

『もう逃げない。いままで黙っていた「家族」のこと』

えん罪の声も上がる事件で死刑囚となった母への思い。
父を中心とする残された家族への思い。
カレー事件に対する思い。
そして
「死刑囚の子ども」として生きる自分への思い……。
こうしたあらゆる“思い”を、
余すところなく本書に詰め込みました。

いわれなき
いじめ、暴力、差別、蔑み、誹謗中傷……。
長男をはじめとする林家の4人きょうだいは、
子ども時代はもとより、大人になってからも
「死刑囚の子ども」として大変な苦しみを味わうこととなります。
それでも、今日も強く生き続けられるのはなぜなのか。
タイトルに込めた「もう逃げない。」とは、どういうことなのか。
「日々、生きづらさを感じながら生きている人」
すべてに読んでいただきたい、魂の1冊の登場です。

今回刊行に際して、特別にプロローグを公開します。
ぜひ、ご一読ください。
※読みやすさを考慮し、書籍版に改行等の変更を加えております。

 

ぼくの家族構成

林健治(けんじ=父・事件当時53歳)

林眞須美(ますみ=母・事件当時37歳)

林恵美(めぐみ=長女・事件当時中学3年・仮名)

林裕美(ゆみ=次女・事件当時中学2年・仮名)

林浩次(こうじ=長男=ぼく・事件当時小学5年・仮名)

林愛美(まなみ=三女・事件当時4歳・仮名)

 

プロローグ ~長いお別れ~

 

ぼくは朝寝坊だった。
でも、あの日だけはもう少し早く起きればよかったと、いまも後悔している。

 

1998104日、日曜日。
裕美(林家次女・当時中学2年)の「コウ! コウ!」という声で目を覚ますと、
全然知らない女の人が、ぼくを見下ろしていた。
その隣に、いまにも泣き出しそうな顔をした裕美が立っている。

女の人はムスッとした顔で「起きなさい」と言うと、ぼくの布団をはぎ取った。

半分寝ぼけながら上体を起こしたとき、
廊下から恵美(林家長女・当時中学3年)の怒鳴り声が聞こえた。

 

「人ん家(ひとんち)に土足で上がるな!」

 

この声で一気にねむけが吹き飛び、慌てて部屋から出ると、
廊下にもほかの部屋にも、制服を着た警察官が大勢いた。
母が逮捕されたのだろうか。

 

2階に母の姿はない。1階へ降りて母を探そうとすると、
裕美に引っ張られ、テレビの前に連れて行かれた。
画面には、大勢のマスコミ関係者に囲まれてゆっくりと進む2台の車が映っていた。
画面が大写しになると、フロントガラスの向こうに顔を伏せた母がいた。
別の車に乗せられた父は、まっすぐ前を向いていた。

 

窓を開けると、すぐ下にテレビの映像と同じ光景があった。
玄関から門扉(もんぴ)まで、ブルーシートでトンネルがつくられていて、
道路には数え切れないほどのマスコミ関係者と野次馬があふれていた。
裕美と顔を見合わせていると、
愛美(林家三女・当時
4歳)を抱っこした恵美もやってきた。
ぼくらきょうだいは、両親を乗せた車がゆっくりと去っていく様子を
ただ眺めるしかなかった。

 

あとで知ったのだが、このとき窓から外をうかがうぼくらの様子も、
各局のテレビカメラに捉えられていた。
NHK
だけで23台ものテレビカメラが、わが家を取り囲んでいたらしい。

 

ぼくは恵美に
「ママ、逮捕されたんか」
と尋ねた。恵美は黙って頷いた。続けて「なんで健治も?」と尋ねた
(ぼくらは、
母のことを「ママ」、父のことを「健治」と呼んでいた)。
母が7月に起きた「毒物混入カレー事件」の犯人として
疑われていることは知っていたが、

なぜ父まで逮捕されたのかがわからなかった。

 

「カレー事件やない。保険金詐欺で逮捕されたんや」

 

恵美は怒っていた。そのときは、土足で踏み込んできた警察官たちに
腹を立てているのだと思っていたが、そうではなかった。
恵美は、保険金詐欺をはたらき、犯罪者となった両親に腹を立てていたのだ。

 

これからどうなるのだろうと考える間もなく、
さっきぼくを起こした女性警察官がやってきて、

「児童相談所へ連れて行くから、1週間分くらいの着替えを準備しなさい」
と言った。
ぼくはクローゼットから、遠足やキャンプのときに使う
リュックサックを引っ張り出し、
適当に服を放り込んだ。

 

そしてぼくにとっては1日も欠かせない、
釣り竿とハイパーヨーヨーも突っ込んだ。

すると間髪入れず、女性警察官に
「そんなん持っていくな。釣りなんかもう一生でけへんで」
と怒られた。

 

1週間分の服を用意しろと言われたので、
1
週間経ったら戻ってくるのだと思ったのだが、違うのだろうか?
聞きたかったが、聞ける雰囲気ではなかった。
仕方なく、釣り竿とハイパーヨーヨーをあきらめた。
裕美を見ると、女性警察官が怖かったのか、涙目になっていた。

 

荷物をまとめると、ぼくらは数人の警察官とともに、
階段を降り玄関に向かった。

キッチンの脇を通ったとき、調理用のテーブルの上に、
重箱と鳥のから揚げが見えた。

その日は、ぼくの運動会で、母は早起きをして弁当をつくっていたのだ。

 

毎年運動会の日の昼食は、校庭にレジャーシートを敷き、
その上に重箱を広げて家族みんなで食べていた。
重箱には、から揚げ、たこウィンナー、卵焼きなど、ぼくの大好物ばかりが、
これでもかと詰め込まれていた。
友だちが「はやっちのうちの弁当うまそうやな」とのぞきにくると、
いつも母はニコニコしながらおかずを分けてやっていた。

 

玄関から門扉まで、ブルーシートのトンネルのなかを歩いた。
そして、1人ずつ別の車に乗せられた。
車が敷地外に出ると、ものすごい人だかりができていた。
ゆっくりとその間を抜け、周りに人がいなくなると車はスピードを上げた。
後ろを振り返ると、数台のバイクがついてくるのが見えた。

 

車は高速道路に入った。
目的地の児童相談所(以後、児相)は和歌山市内にあり、

本来は高速道路で行かなければならないような距離ではない。
マスコミのバイクをまくためだったのだろう。
結局、1時間ほどかかって児相に着いた。

 

きょうだいたちは別ルートで、同じ児相に連れてこられていた。
まいたと思っていたマスコミも、しっかりとついてきていた。
ただ、児相もそれは見越していたようだ。
建物のなかに入ると、
道路側の窓ガラスがすべてポスターなどで目張りされていた。

 

ポスターを貼ったのは、
児相に宿泊している子どもたちだったらしい。

昼食後、男子部屋へ行くと、小中学生78人が
「おまえが来たせいで、ポスター貼りをやらされたやないか」
と言って、一斉に殴りかかってきたからだ。

 

彼らはみんな、ぼくらきょうだいの「正体」を知っていた。
この日は児相の上空もマスコミのヘリコプターが何機も行き来しただろうし、
両親の逮捕時の様子をテレビで見ていたかもしれない。
同じ日に「林」という苗字の4人きょうだいがやってきたのだから、
「林眞須美」の子どもだということはわかっていたのだろう。

 

彼らにとってぼくらは、カレーに毒を入れて4人を殺害し
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人を急性ヒ素中毒に陥らせた極悪人の子どもたちで、
なにをしてもかまわない標的だった。
ぼくは殴られながら、大人が助けに来てくれることを期待し、
部屋の入り口のほうに目をやった。
すると、女の子たちがこっちを見て、バカにするかのように笑っていた。

 

本当ならいまごろは、運動会のリレーで大逆転し、
女の子たちの拍手喝采を浴びていたかもしれないのに……
そう考えると、急に怒りが込み上げてきて、ぼくは反撃に出た。

 

しかし、すぐに足をすくわれ、後頭部から床に倒れ落ちた。
そのまま頭を抱えて縮こまり、しばらく足蹴にされていた。
ぼくが反応しないので飽きたのか、彼らは去って行った。
ぼくは床に倒れたまま、前の晩、母と交わした会話を思い出していた。

「明日の運動会、大丈夫だよね?」

「大丈夫や。超豪華弁当をつくっちゃるから、頑張れよ」

母はそう言うと、親指を立てて笑った。

なぜそんなことを尋ねたかといえば、
子ども心になんとなく胸騒ぎがしたからだ。

「大丈夫や」と笑った母は、朝起きるといなくなっていた。
以来21年間、ぼくは一度も母に触れることができないでいる。

 

以上

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また、新宿ロフトプラスワンと大阪ロフトプラスワンウエストで
長男初の生出演となるトークイベントも開催されます。
詳細は下記、リンク先をご覧ください。

9/1(日)13時開演@新宿ロフトプラスワン
こちら
100人以上が詰めかける大盛況で終わりました。
ご来場いただいた方、本当にありがとうございました。

9/29(日)14時開演@大阪ロフトプラスワンウエスト
こちら
こちらも、サインの時間を入れたら3時間半に及ぶ大盛り上がりでした。
重ね重ねご来場いただいた方、本当にありがとうございました。

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