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3月08日

『「沁みる夜汽車」の物語』三陸鉄道 応援ページ(2020/03/08)

まもなく3月11日、東日本大震災から9年という年月が経とうとしています。
そして3月20日、2019年の台風19号で甚大な被害を被った三陸鉄道が、
ついに全線復旧します。
そこで、NHK BS1で放送され、SNSを中心に大反響を呼んだ鉄道ドキュメンタリー番組
「沁みる夜汽車」「沁みる夜汽車2019夏」全10話を書籍化した
『「沁みる夜汽車」の物語』より、
震災と三陸鉄道をめぐる知られざるストーリーを期間限定で公開します。
あの3月11日から、三陸地方は何が変わったのか。
あるいは、何が変わらず残っているのか。
そして、私たちは震災と復興にどう向き合うべきなのか。
ぜひ、ご一読ください。
※読みやすさを考慮し、書籍版に改行等の変更を加えております。

 


子どもたちの背中を押す
卒業へのメッセージボード
~三陸鉄道 久慈駅~

2011年3月11日午後2時46分――。
マグニチュード9.0という、かつてない規模の巨大地震が発生し、
大津波が東北から関東一帯に襲い掛かった。
この東日本大震災により壊滅的な打撃を受けた路線が、
8年後の2019年3月23日、全線開通を果たした。
三陸鉄道リアス線である。
同線は、その名のとおりリアス式で知られる岩手県の三陸海岸沿いを走り、
総距離は163㎞におよぶ。
かつてリアス線は、久慈駅と宮古駅を結ぶ「北リアス線」、
釜石駅と大船渡市にある盛駅を結ぶ「南リアス線」に分かれていた。
その後2019年、震災からようやく復旧した釜石―宮古間のJR山田線が三陸鉄道に移管され、
岩手を南北に結ぶ「三陸鉄道リアス線」として新たに生まれ変わった。
今回の物語の舞台は、地域住民から「さんてつ」の名で親しまれてきた、
その三陸鉄道の北の玄関口、久慈駅である。
NHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」のロケ地としても有名な同駅の待合室に、
3月に入ってから 10 日ほど、人知れずメッセージボードが置かれる。
メッセージは、地域の高校を卒業する3年生に向けられたものだ。
書いているのは、この物語の主人公、久慈駅駅長の駒木健次さん。
駒木さんは、東日本大震災が発生するまでは、三陸鉄道の旅客サービス課にいたが、
震災直後から復興のため久慈駅に異動。
以来、毎年、同駅周辺の3つの高校に通う学生たちを見守り続けてきた。
メッセージボードを置きはじめたのは、震災の翌々年の2013年のこと。
震災当時、1年生だった高校生たちが卒業をむかえる年だった。
それから毎年、久慈から旅立っていく卒業生の背中を後押しする言葉をつづってきた。
たとえば、2017年にはこんなメッセージを送っている。

 高校卒業おめでとう
  ~震災6年、時間軸は動いて~

あまちゃん駅で、大好きな人に恋を打ち明け、
時を越えて胸が高鳴ったりしましたか?
昨年は台風が来て大変でしたね…。
頑張って未来を思う気持ちがあれば、
悪いこと以上にきっと良いことがある。
そう信じて生きてゆきましょう。
七転び八起き。

ローカル線は本数が少なく、朝が早くて大変でしたね。
3年間、三陸鉄道を利用してくれて本当に有難うございました。

震災から6年、時間軸は動いてゆきます。
120年前からの三陸鉄道構想、大地震、大津波。
その時々の思いが風化しませんように…。

未来行き線路は、右よし左よし前よし。
君たちの思いが大波の上駆け越えて、
みんなが幸せになれますように。本当に卒業おめでとう。
「さんてつ」にまた乗りに来てくださいね。絶対ですよ。

                        三陸鉄道 久慈駅

2011年、震災で壊滅的な被害を受けた三陸鉄道は、
当然のことながら列車を動 かすことができない状態となった。
一方で、街なかを走る国道はガレキの山でどこも不通。
そのため、買い出しや行方不明者を探しに行く人たちは、
比較的障害物の少ない線路上を歩いていた。
それを知った三陸鉄道は、まずは被害が軽い路線の復旧を決断。
鉄道マンの尽力により、震災からわずか5日後に運行再開を実現した。
はじめに開通したのは、久慈駅から陸中野田駅の2駅間だった。
さらに3月中に、北リアス線の36.2㎞の区間で運転を再開。
そのうえで、3月いっぱいは「震災復興支援列車」と銘打ち、運賃をすべて無料にした。
会社経営は赤字だったにもかかわらず、
「運賃よりも、まずは地域に役立つことが何よりも優先」と考えてのことだった。
こうした「さんてつ」の復旧にかける熱意と行動が、
被災した沿線住民に大きな希望をもたらした。
久慈駅を起点に運行を再開した復興支援列車に乗り込む乗客のなかに、
ガレキの撤去や津波で流された行方不明者を探しに行く人たちの姿があった。
そうした復旧、救援作業に参加したのは、大人だけではない。
地元の高校生たちも「何か力になれば」と、ボランティア活動に参加した。
彼らは朝、久慈駅を出発し、夕方になると泥だらけになって帰ってきた。
いまも駒木さんの脳裏に焼きついているのは、
行方不明になった女の子を必死で探していた男子高校生の姿。
「鬼気迫る様子で、行方不明の人を探しに行っていました。
自分のことは二の次です。帰ってきたら長靴もドロドロでしたね」
こうしたボランティア活動に参加してくれた高校生たちに、
改めて感謝の気持ちを 伝えたい――。
そう考えた駒木さんは、自分の想いを手書きで書き込んだメッセージボードを、
久慈駅の待合室に置くことにした。
このはじめての試みに対し、卒業生、在校生からさまざまな声が届いた。
「ありがとう。卒業しても、また遊びに来るからね」
「私の式のときにも書いてくれるんですか?」
駒木さんは、心に決めた。
書いてよかった。これからも続けていこう。
翌2014年は、震災ひと月後、世の中がまったく落ち着かないなか、
高校に入学してきた子どもたちが卒業する年だった。
震災から3年、街にはまだ、その傷跡が色濃く残っていた。
卒業式の前日、駒木さんは去年と同じように、
門出をむかえる高校生たちに向けた応援のメッセージをボー ドにつづった。
そして、その翌年も、またその翌年も……。
こうして久慈駅の待合室に卒業生へのメッセージボードが置かれ続けた。
2019年――
駒木さんに転機が訪れる。会社から異動を命じられたのだ。
3月いっぱいで、長らく親しんだ「あまちゃん駅」ともお別れとなった。
メッセージボードを書くのも、これで最後だ。
3月1日の朝7時。2019年の卒業生へ向けたメッセージボードを、
久慈駅の待合室に置いた。この年の卒業生は震災時、まだ10歳だった。
やがて、高校生たちが乗った電車が駅に到着すると、構内にはにぎやかな声が響く。
これまでと変わらぬ朝の光景だ。
生徒たちとあいさつを交わし、いつものように学校へ送り出すと、
駒木さんは例年どおり周辺地域の高校の卒業式に出席するため、車で駅をあとにした。
高校へと向かう道すがら――。
車窓から見える街の景色は、震災前と変わらない穏やかなものに戻りつつあった。
あれから8年。道路は整備され、復興住宅の建設も計画の95%が完成していた。
復興は着実に進んでいるように見える。
招待された高校に到着すると、駒木さんは卒業式がとり行われる体育館へと向かった。
この高校では2019年、 36人の生徒が卒業をむかえる。
40年前、駒木さんも地域の高校に通う生徒のひとりだった。
卒業式は、駒木さんの 時代となんら変わりなく粛々と進む。
しかし、そこに並んでいる卒業生の状況は、駒木さんの時代とはまるで違う。
卒業生のなかには、津波で自宅を流され、仮設住宅から学校に通った生徒がいる。
船を流され、仕事を失った親をもつ生徒もいた。
「震災当時、みなさんは小学校の4年生。家族や地域の人々によって支えられながら、
大変な日々を乗り越えてきました……」
校長先生の式辞に続いて、生徒代表が答辞を述べた。
「未来に希望と目標を持ち、それを達成できるよう、学んだことを生かし、
一生懸命に取り組んでいきます……」
じっと耳を傾けていた駒木さんは、式が終わると、こんなことを口にした。
「みんな、優等生に見えませんか?」
駒木さんは自分の高校時代を、少し照れ笑いしながら振り返る。
「僕の時代は優等生はひと握り。あとは普通か、グレてるかでしたよ」
一方、いまの三陸の子どもの多くは、将来の目標を明確に話すのだという。
「何になりたい?」
と聞くと
「看護師になる」
「学校の先生になる」
とまっすぐに答える。
駒木さんは、そんな「全員優等生」の彼らに、妙な割り切れなさを感じてしまう。
「僕のときとは、時代が違うんだなぁと感じます。僕は野球部に入っていましたが、
途中で辞めてしまって。『大学受験のために勉強する!』と親にいいながら、
結局ちょっとダラダラしてしまったり……。
いまの子たちのように、ちゃんとがんばってはいなかったなぁと思います」
東日本大震災で被災したことによって、
この地域の実情は日本だけでなく、世界中に知れ渡った。
世界各地から支援物資が送られ、
岩手県だけでも80億円をゆうに超える支援金が集まった。
三陸鉄道にも、その支援金の一部が割り当てられた。
いまも現役の36−700形気動車は、津波で廃車になった車両の代わりとして、
遠く中東のクウェートから支援されたものだ。
車両の側面には支援への感謝の言葉が、アラビア語、日本語、英語で書かれている。
東北の各地域はこのように、2011年以降ずっと、
たくさんの人たちに支えられながら復興を目指してきた。
三陸の子どもたちも、そのようななか、青春時代を過ごしてきた。
「いろんな人に支えてもらったから、恩返ししなきゃね」
「地域の復興に、みんなで貢献しよう」
親、先生、村長、市長など、さまざまな大人から、
8年間ずっとこんな言葉を聞かされ続けてきた。
彼らは、それをどう受け止めているのだろう。
「自分たちは、お世話になった社会に対して恩返しをしなければいけない」
どこかで、そう考えなければいけないという義務感を抱いているのではないか。
本来なら子どもたちは、ただ普通に元気で自由に生活してくれればいいはず。
「卒業したら原宿や渋谷で遊びたい!」
そういったって全然かまわない。
なのに、周りの空気を読んで、自分の本当の気持ちを抑え込んでしまう……。
駒木さんは、そんな高校生たちの〝心の復興〟に目を向ける。
震災からしばらくたっても続く緊張状態のなかで、
久慈駅を利用する高校生たちは毎朝、
駒木さんに元気な明るい声であいさつをしてくれた。
しかしふと、感じることがあった。
表面的には元気で前向きだけど、
果たして心の復興は本当に追いついているのだろうか……。
駒木さんは、みんながみんな優等生のように振る舞う彼らを見ると、
心のなかでこう声をかける。
「そんなにがんばらなくてもいいんだよ」
目に見えない重圧が、子どもたちにかかっているのではないか。
「三陸の子どもは多くの人に助けられたから、真面目にちゃんとしないといけない」
そんな風潮に呑み込まれているのではないかと、駒木さんは心配になる。
「10歳で悲惨な状況を目の当たりにしてしまった子どもたちの、
心の奥の見えない部分が心配になるんです。
津波から逃げて怖かったんだろうなと思うし。
震災前にあった近所との付き合いもなくなって、
隣に住んでいた人がどこに行ったかもわからなくなっています」
だからこそ大人の役割が大事だと、駒木さんは語る。
「そんな三陸の子どもたちの心の奥を、
周りの大人たちが理解して助けてあげてほしい。
この駅を通っていく子、三陸鉄道を使ってくれる子はみんな愛おしいですから」
震災後の復興では、岩手県、宮城県、福島県の各海岸で、
海と陸を隔てる防潮堤が築かれた。
防潮堤の高さは最大で15.5mにもおよぶ。三陸海岸にも当然、防潮堤が築かれた。
駒木さんは無機質なコンクリートの防潮堤を見ると、
子ども時代、三陸の海で釣りや潮干狩りをして遊んだ懐かしい記憶がよみがえり、
ちょっと残念な気持ちになる。
「海は怖いだけのものじゃない。三陸の子どもは我慢しているように思います。
幼いころに、家族で海で遊んだ楽しい記憶もあるはずなのに……。
海で遊ぶ子ども時代が奪われてしまい、不自由さを感じている気はしますね」
やはり、ここでも繰り返し、
子どもたちの周りにいる人々の果たすべき役目を強調する駒木さん。
「周りがもっと、自由に生きていいんだよと言ってあげられればいいのですが……。
それが彼らの助けになるはずですから」
2016年のメッセージボードに、駒木さんはこう書いた。

海が盛り上がって、車が流されて、そんな映像なんか見たくない。
小学生のころ、家族で見た夏の碧い海がいい。
みんな前を向いて生きろと言っても、
マイナスからの出発環境なんて辛すぎる。
そんな事を言っている君たちの心の真ん中が心配です。
どうかその分〝いいこと〟がたくさん訪れますように…。
世間の波に呑み込まれないように、どうか皆様助けて上げてください。

そして2019年、1週間ほど考え抜いた最後のメッセージを、
子どもたちに残した駒木さん。
それを読んだ卒業生のひとりは、こう語った。
「自分たちがいつも見守られていることを感じます」

 高校卒業おめでとう
  ~震災8年、夢と希望の光さす未来へ~

10歳の君たちが、震災に逢った日から、8年が経とうとしています。
幼かった記憶のまま、津波の恐怖を夢に見たりしますか?  
君たちの笑顔は、復興と希望の光に違いありません。
3年間、早起きして〝さんてつ〟で通学してくれて本当に有難う。  

列車通学時の恋心やときめき、部活や勉強の達成感。
そんな掛け替えのない毎日を、後で思い返せば、
どれ程愛おしい事なのでしょう。

ことしも就職や進学で故郷を離れる仲間も多いと聞きます。  
私も転勤となり、ボードを書くのも最後です。
あまちゃん駅での思い出、そして皆の夢が叶いますように。

さあ共に光さす未来を目指しましょう。
三陸鉄道青春列車。  
いつか三陸に戻ってきて、かわいい子供を育てながら、
地元を元気にしてください。

いつまでも青春列車が見守ります。
それでは、心を込めて高校卒業おめでとう。

                        三陸鉄道 久慈駅

 

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