近年のメディアは、社会現象をわかりやすい善/悪二元論で包摂し、勧善懲悪的な物語を垂れ流し続けている。 森達也氏はそのことの危険性を早期から訴え続けてきた論者だ。同時に、同氏はそのわかりやすい勧善懲悪的物語を欲しているのは、実は他ならぬ民意=現代のリヴァイアサンである、という極めて重要な指摘も成している。 民意がある種の思考停止状態の中、「かわりやすさ」の方へますます急角度で傾斜していきつつある今、その指摘の持つ意味は大きい。 一方、メディアそのものの思考停止を厳しく批判し続けてきたのが上杉隆氏。 記者クラブ制に守られ、権力の大本営発表を無批判に報道し続ける現在のメディアのあり方は、いうまでもなく思考停止のへたれ以外の何者でもない。 わが国メディアは、メディアがその本来性において果たすべき役割を完全に放棄してしまったかのようだ。 情報の送り手も受け手も思考停止状態――この滑稽かつ悲惨な状況から、われわれはいかにして抜け出すべきか。メディアが情報伝達の過程でさまざまな視点を提供し、見る側はそこから自分なりの価値判断を築いていく、そんな理想的なメディア環境を実現するためには、今、何が必要なのか徹底討論。
「グローバル化」ということが語られる場合、人、モノ、カネの移動が世界規模で行われることを言い、それは主にグローバル経済(世界規模での企業の経済活動)の活発化のことをいう。その有り様を知るには実際に現場で活躍する人の意見を聞くことが一番だろう。しかし、どんな人も世界経済の動きを自らの体験だけで知っているわけではない。体験が重要なのはもちろんだが、世界の大きな流れを俯瞰的につかむことも、また重要だ。 グローバル化について知ることの多くは、世界で展開する多国籍企業=グローバル企業の歴史を知ることであるという前提に立ち、グローバル化推進に積極的な人にも、懐疑的な人にも有益な情報を提供したい。、その歴史、人脈、動向、そして今後の展望を徹底分析。
10年ほど前、話題となった『ネオコンの論理 アメリカ新保守主義の世界戦略』(山岡洋一訳、光文社、二〇〇三年)の著者ロバート・ケーガンにとっては三冊目の邦訳書。本書におけるケーガンの主張は以下の通りである。最近、アメリカ国内外で流行している「アメリカが衰退しつつある」という主張に反駁している。ケーガンは、アメリカ衰退論は「幻想」に過ぎないと断言。1、アメリカが世界の総GDP(国内総生産)に占める割合が一九六九年からほとんど変化していないこと、2、アメリカの一人あたりのGDPでは世界の中でいまだ上位に位置していること、3、アメリカの軍事力は予算と装備の面から他の大国を圧倒していること、の三つの点から見て、アメリカは衰退していないと主張している。また、現在のリベラルな国際秩序は、アメリカが作り上げ、アメリカが維持してきたものだ。従って、アメリカが衰退して経済力や軍事力の優位を失ってしまえば、非民主的な専制政治体制のロシアと中国の台頭を許し、現在の国際秩序は崩壊するという主張を行っている。そして、アメリカが衰退するかしないか、それはアメリカ国民の「選択(choice)」にかかっているのだと結論付けるものである。この『アメリカが作り上げた世界』は、これからのアメリカの外交政策を考えるうえで重要な示唆を与えてくれる。アメリカが世界最高の国で、アメリカの素晴らしい価値観である人権や民主政治体制を世界に拡散し、維持していくということがアメリカ外交の基本姿勢である。アメリカの傲慢で独りよがりな外交に対して、多くの批判があることは間違いない。しかし、このアメリカの確固とした姿勢と一種の矜持を本書は世界に示すものである。
あなたが立候補すれば日本が変わる!この一冊で誰でもすぐに選挙がわかる、戦える、勝てる!選挙プランナ-の著者が秘策を公開する【永久保存の完全版】。一昔前までの政治家の立候補条件は「地盤・看板・鞄」といわれていました。したがって、例えば、一般のサラリーマンの人が立候補しようとしても、妻から「あなた、そんなお金どこにあるの?」「落選したら生活はどうするの?」から始まり、周囲から猛烈な反対を受け出馬断念といったケースもよくありました。しかし近年、インターネットの普及に伴い、政治家と有権者とのコミュニケーション手段・手法も大きく変わってきたのです。また、政党を問わず、いわゆる大組織の集票能力が激減し、社長や組合の委員長が「A候補に投票を!」と叫んでも、それだけで当選できる時代は終焉したのです。それでも国政レベルでは二世、中央官僚、議員秘書などから立候補する人が相対的に多いことに変わりはありません。しかし、ネット時代の今こそ「地盤・看板・鞄」をぶち破って立候補しましょう。そして、この国を造り直していきましょう。