スリーマイル島の現地取材から、フクシマの現実と30年後の未来を予測するドキュメンタリー。スリーマイル島原発事故は35年前。健康被害調査、民事訴訟すべて結果が出ている。その幾多の訴訟で原告は勝訴したのか? どれほどの補償をうけられたのか?フクシマの被害は30年以上の長期にわたると予測されている。スリーマイル島原発事故のその後を調査することで、「フクシマの未来」(35年後)が見えてくるのではないか。スリーマイル~フクシマの取材を経て筆者が辿り着いた真実とは、その先に見える「フクシマの未来」とは。 ※訂正とお詫び 編集部 本書に誤りがありました。以下、訂正してお詫びいたします。 p.50 5行目 バイバス → バイパス p.58 5行目 立法 → 立方 p.58 14行目 放射性物質の → 放射性物質を p.71 14行目 どこいたのか → どこにいたのか p.119 16行目 からら → から p.125 4行目 バックグランド → バックグラウンド p.137 13行目 被爆線量 → 被曝線量 p.146 9行目、12行目 被爆線量 → 被曝線量 p.158 2行目 ミドルタン → ミドルタウン p.158 2行目 Gavernment → Government p.160 4行目 働いていて → 働いて p.216 8行目 siginificant → significant p.225 12行目 商法を → 手法と p.238 7行目 委院長 → 委員長 p.244 8行目 定期点 → 定期点検 p.254 26行目、27行目 鳥賀陽 → 烏賀陽
「戦争」と「アメリカ」を親に生まれた双子の兄弟「核兵器」と「原子力発電」の歴史を訪ねアメリカ全土を取材しまし、日本に未曾有の災厄をもたらした原発の故郷から見た「核」の歴史をリポートします。著者による貴重な写真も多数掲載。 兵器としてアメリカで生まれ、ヒロシマに落とされた「核」。その双子の兄弟「原発」は、なぜ日本へやってきたのか?福島第一原発の故郷を訪ねる渾身の取材による旅の記録です。 ※訂正とお詫び 編集部 本書に誤りがありました。以下、訂正してお詫びいたします。 ・P.6 左下 (ニューメイシコ州) → (ニューメキシコ州) ・P.20 5行目 「当時 → 当時 ・P.248 2行目 同年 → 2012年
ぼくたちは野球の灯を消さない!! 震災と原発事故でバラバラになった南相馬の少年たちは2011年6月、野球チームを結成した。歯をくいしばり、前を向き、打って、走って、投げたフクシマの少年たち、総勢28人の700日。 3.11が奪った野球少年の命 / ユニホーム姿の女子中学生の無念 / 3人の息子を亡くしたお母さんの流産… / 地震・津波・原発事故・風評被害の四重苦 / 除染されないグラウンドで部活動 / 廊下で正面衝突する子どもたち / 避難した野球場で津波に襲われた… / 砂場のような校庭で練習する / 放射能と戦う保護者たちの苦悩 / 放射能に慣れ、麻痺してしまった… /「野球用語」を聞くと吐いてしまう少年 /「原発の町」から消えた少年野球は / 保護者たちが少年野球を守った / 放射能が高校野球を奪った / 救援物資よりも、お金が欲しい… / 中学野球部の練習は体育館で1日30分 / 笑いと涙、新たな決意の懇親会 / 野球少年はホームを目指す / 原発禍における子どもたちを忘れるな! (本書見出しより抜粋) 2011年3月11日、地震と津波で東北から関東にかけての東日本一帯に甚大な被害がもたらされた。この東日本大震災により福島第一原子力発電所で炉心溶融など一連の原子力事故が発生。福島第一原発から20km圏内は民間人の強制退去が現在も続いている。 原発事故により多くが避難を余儀なくされ、15あった南相馬市の少年野球チームはばらばらとなった。震災で選手、指導者が亡くなったチームもある。そこで、現地に残った関係者と各地に避難している保護者が連絡を取り合い、2011年6月、小学6年生を主体とする南相馬市少年野球教室と、小学5年生以下で結成された南相馬ジュニアベースボールクラブが結成された。 この少年野球チームに著者が2年間密着。子供たち、保護者の声を聴き、試合に同行。また、多くの学校やスポーツ関係者に取材を重ねた。