世界(日本)経済への悲観論がマスコミを席巻している。だが、それは果たして本質を突いた議論なのか?二つの問題点が指摘され得る。一つは大衆のネガティブ・エモーションに訴えることで販路拡大を目論むマスコミの詐術。そして、まるで必然のごとく悲観論を導いてしまうエコノミストたちのあまりにも微視的な経済解析手法だ。それらに対し、徒なミニマリズムに陥ることなく、大局観を持って事の本質を捉えよ、と若林栄四氏は説く。ある種の大局観に立って見るならば、世界経済は決して没落寸前などではないし、ましてや日本経済は明確に上昇トレンドに乗りつつある。では、若林氏のいう大局観とはどのようなものか。為替相場の世界で40年にもわたり鎬を削る中で確証を得た理論――つまり相場とは人為で動くものではなく、“神意”としか呼びようのないある法則性にしたがって自律的に動くものであるというセオリーから導かれたものだ。その大局観に基づいて見た場合、世界および日本経済の行方はどのように読み解かれるのか。凡百の悲観論を超えた真に傾聴すべき経済予測がここに始まる。
本書は「刺激的」な本である。とはいえ、徒に読者の不安感や危機感を煽りたてる本ではない。世界的にデフレが進行している現代という時代において、日本が進むべき道を照らし出す「実用的な書籍」になっている。デフレ下の国家や国民は、それまでとは異なる戦略をもって、新たな成長を目指さなければならない。すなわち、パラダイムシフトが求められるのである。90年代初頭のバブル崩壊以降、日本は世界に先駆けてデフレ経済に苦しめられてきた。さらに、アメリカを中心に不動産バブルが崩壊し、日本以外の国々までもが、今後はデフレ経済に突入しようとしている。とはいえ、日本や世界がデフレに陥るのは、別に初めてではない。デフレ期の国が何をするべきなのか。あるいは、デフレ下の政府や国民が何をするべきなのかは、過去の事例を見れば容易に理解することができる。 筆者が個人的に尊敬申し上げる長谷川慶太郎氏は、以前より「世界のデフレ化」について著作などで語られていた。長谷川氏は、デフレ下の国ではインフラ投資を積極的に行うべきとの持論を展開されているが、筆者もまったく同意見である。別に日本に限らず、デフレ下の国は「次なる経済の基盤」を築き上げるインフラ投資を拡大しなければならない。正しい意味におけるデフレに陥った国は、長期金利が下がる。長期金利が低迷する以上、政府の資金調達コストも下がる。デフレ下の国の国民は、新たな社会インフラへの投資を大々的に行う、絶好の機会を得たと考えるべきなのだ。とはいえ、現実の日本では、未だに「公共事業悪玉論」がはびこり、必要なインフラ整備や耐震化投資すらできない有様に至っている。資本主義経済は、誰かの投資なしで成長することはできない。デフレという、社会インフラ整備をする「絶好の機会」を得たにもかかわらず、日本国民はチャンスをみすみす逸し、国内では「日本は成長しない」論が蔓延している。日本国民自らが成長する意志を持たなければ、経済成長率が高まるはずがない。日本の現在の問題の多くは、成長することで解決できる。経済成長こそが、すべての解なのだ。そして、日本が経済成長を成長させるためには、国民一人ひとりが現状を正しく認識し、「成長」を意識した経済活動に従事する必要がある。