

ルーツはどこなのか?他の民族と何が違うのか?最新の遺伝学・言語学・宗教学で読み解く、世界と渡り合うための「民族の教科書」日本史「通」の世界史講師が、科学で解明された真実を描き、日本人の「アイデンティティ」を再発見する。
・ご先祖様の多くは、「南方」から辿り着いた
・日本語はモンゴル語や満洲語と仲間?
・縄文人は精霊信仰。弥生人は祖霊信仰
・狩猟民族のメンタリティを残して文明化した奇跡の国
これは、日本人の「自分探し」の旅です。自分とは何者か? どこでどのような家庭に生まれ、どのように育ち、どういう経験を積んで現在にいたるのか? いいことも、悪いこともあったでしょう。それらすべての経験を糧とすることで、人は他者との関わり方を学ぶし、未来に向けた生き方の指針も得られるのです。(茂木誠「はじめに」より)
日本人はどこからやって来たのか。日本人は複合民族であり、全てのアジア民族の血を引き継いでいます。我々の体の中に流れる様々な民族の血、それはいったいどこからやって来て、どのように歴史の中で存在したのか。遺伝子に刻印された民族の歴史的記憶は誰にも消すことはできず、意識的にも無意識的にも、我々はそれらに支配され続けるのです。
最新の遺伝子解析の研究成果などにより、従来の通説とされた多くの学説が覆されており、「日本人」の新しい事実や史実に迫ることができるようになっています。語られざる日本人の血統・血脈が明らかになっているのです。茂木先生との本書対談で、日本人の血脈をたどると同時に、日本人が歩んだ歴史の痕跡としての文明に焦点を当て、日本人がどのように誕生したのか、その実態と本質を考察しました。(宇山卓栄「おわりに」より)
〈目次〉
第1章 弥生人は縄文人を征服したのか?
日本人は「日本人とは何か」を教わったことがない
縄文人と弥生人の間に大きな民族分断はあったか?
明治時代に始まった「縄文人と弥生人」論争
学会に根強く残る「二重構造説」
なぜ弥生時代に日本列島の人口は急増したのか?
弥生時代に渡来した長江文明人とは
中華人民共和国が消し去った長江文明
DNA解析で民族の起源を知る
チンギス・ハンの遺伝子を持つ人が数千万人いる
黄河文明人が長江文明人を征服した歴史
シベリアのヤクート族や北欧のフィン人の遺伝子
東アジアの中で日本人だけが異質な理由
四国や近畿南部に弥生系渡来人が多い理由
女系遺伝子からもわかる日本人のルーツ
移民政策が機能していた古代の日本
鬼界カルデラの大噴火で西日本から消えた縄文人
日本人とユダヤ人に遺伝子的なつながりはあるのか?
第2章 「アイヌ=縄文人の末裔」説は本当か
アイヌの遺伝子的特徴
アイヌはもともと絶海の孤島に住んでいた?
アイヌの故郷は千島列島か?
モンゴル帝国によって樺太から追われたアイヌ
アイヌと縄文人は同一民族なのか?
第3章 日本人の源流を「言語」からたどる
文法で見ると日本語は北アジア系
日本語とアルタイ語族の共通点と相違点
民族が入り交じるほど言語は簡略化されていく
「日本語の源流は遼河文明」説はあり得るか?
ポリネシア系言語と日本語の関連性
津軽と出雲のズーズー弁は縄文語の名残か?
『ホツマツタヱ』や『契丹古伝』は本物か?
第4章 神話から読み解く天孫族の故郷
日本神話は天孫族と出雲族の抗争と和解の記憶
なぜ天孫降臨はアマテラスの子どもではなく、孫なのか
「天孫降臨の地は満洲だった」説が示すもの
イザナギ・イザナミの国生み神話と重なるポリネシア神話
遺骸から食べ物が出てくる神話はインドネシアにもある
日本神話とギリシア神話の共通性
なぜ、はるか離れたギリシア神話と日本神話が似ているのか?
スサノオのヤマタノオロチ神話と重なるギリシア神話
伊勢神宮の外宮は何を祀っているのか?
スサノオやツクヨミの誕生神話の源流は何か?
なぜツクヨミは月山に祀られているのか?
スサノオのモデルはツングース系の狩猟民
出雲大社にはスサノオが祀られている
もともと女神アマテラスは男神だった!?
稲作の伝来から考える天孫族の降臨
縄文時代末期から日本では稲作が始まっていた
なぜ日本の米はインディカ米ではないのか?
水稲稲作の普及以前、縄文人は何を食べていたか?
邪馬台国論争はなぜ答えが出ないのか?
「親魏倭王」の称号は何を意味するか?
倭の奴の国と邪馬台国との連続性
「委奴国王」の時代の日本に統一国家はなかった
第5章 日本人は本当に仏教や儒教、キリスト教を受容したか?
日本人にとって「神」とは何か?
縄文人は精霊信仰、弥生人は祖霊信仰
神道と儒教は本質的に相容れない
江戸時代の日本は朱子学を完全には受け入れていない
漢文は理屈を論じ、和歌は心をうたう
穢れを浄化するのが仏教、穢れを洗い流すのが神道
神道と、西洋のレリジョンはまったくの別物
日本のキリスト教徒は本当にキリスト教を理解していたのか?
教えを広げる中でイスラム教は寛大になった
イスラム原理主義と朱子学は同じ根っこ
第6章 「日本」の領域はいつ生まれたか
古代日本のテリトリーは朝鮮半島南部まで及んでいた
白村江の敗北で、「日本列島が日本」という意識が生まれた
日本は朝鮮半島と関わると、国力を消耗する
なぜ「大和」と書いて「やまと」と読むのか
10世紀に中国は「日本」という国号を認めていた
「天皇」はもともと「宇宙の主宰者」を意味した
いま世界で「エンペラー」と呼ばれるのは天皇だけ
「万世一系」は虚構なのか?
「100歳以上生きた天皇が何人もいる」問題を解決する
第7章 周辺民族から日本人を考える
15世紀に統一王国を築いた琉球王国
守礼門の「守禮之邦」が意味するもの
中国が「沖縄を日本のものと認めたことはない」という理由
本来の首里城の色は、赤ではなく黒
「隼人」「熊襲」も縄文人の子孫
今も京都で「隼人の舞」を伝える子孫たち
ヤマトタケルと戦った関東や東北のエミシ
エミシとアイヌとの連続性をどう考えるか?
阿倍比羅夫と戦った「粛慎」の正体
北海道にも佐渡にもいる「粛慎」
エミシは日本文化を深く理解していた
武士団の源流はヤマトに服属したエミシ
終戦直後までいた、戸籍に編入されなかった「サンカ」

古代オリエントからハプスブルク、大英帝国まで。広がる版図、かさむ財政支出。平和が続けば、軍事は劣化する──民族と地政学で学ぶ、国家の栄枯盛衰。大波乱の21世紀国際情勢を読み解く知恵
超大国、衰亡の10大原因
1 偽政者の失政・悪政
2 中央政府の機能不全
3 人口の減少
4 主要産業の衰退
5 経済力の低下
6 国内の対立
7 軍事力の低下
8 地方の分離独立
9 慢心
10 強力なライバルの登場
栄華を極めた超大国もいつかは滅びる。4千年前の古代オリエントのアッシリアから20世紀の大英帝国までの超大国の興亡史に、激変する21世紀を生き抜くヒントがある!
〈目次〉
プロローグ 超大国はなぜ衰亡したのか
ボスト・アメリカはどうなるのか
超大国と帝国の違いは何か
超大国が衰退した要因は何か
第1章 中世以前の帝国
濃厚な爪痕を残した強者たち
オリエントの超大国──アッシリア、アケメネス朝、アレクサンドロス帝国
地中海世界の超大国──ローマ帝国、ビザンツ帝国
東アジアの超大国──漢、唐
イスラーム世界の超大国──ウマイヤ朝、アッバース朝
北アジアの超大国──匈奴、突厥、モンゴル帝国
第2章 オスマン帝国[1299-1922]
無敵の帝国が陥った現状維持の罠
地中海を制し、ウィーンをも包囲
改革の足枷になった精鋭部隊
揺らぐ中央集権体制
借金の果てに強いられた経済的従属
とどめとなった民族問題と君主専制
第3章 ハプスブルク帝国[16世紀-1918]
婚姻で栄え、近親婚の連続で滅亡へ
スイスの一領主からオーストリアを獲得
婚姻政策の成功で飛躍
「太陽の沈まぬ国」となったスペイン系
神聖ローマ帝国を世襲したオーストリア系
女傑マリア・テレジアの失策
国家破産を繰り返し絶えた血統
黄昏の皇帝一家を襲った悲劇
版図拡大も民族問題で崩壊
第4章 大清帝国[1616-1912]
慢心が招いた半植民地化の危機
モンゴル、台湾までを支配下に置く
世界総生産の4分の1を占める
帝国を蝕むアヘンと貿易赤字
目に見え始めた半植民地化
中華の体面を汚す諸悪とその根源
第5章 大英帝国[16世紀末-1947]
永遠とはいかなかった先行有利
イングランドから連合王国へ
オランダに代わり世界の覇権国に
「世界の銀行家」への転身
南ア戦争で露呈した大英帝国の衰退
衰退を決定づけた二度の世界大戦
第6章 ロマノフ王朝[1613-1917]
はかなく潰えた「第3のローマ」の夢
ピョートル大帝と新都サンクト・ペテルブルク
不凍港を求めて版図を拡大
ナポレオンを撃退し「ヨーロッパの憲兵」に
進まない改革、ぬるすぎた農奴解放
革命派の蜂起とロシア正教会異端派
皇帝一家の最期──逆効果だったシベリア出兵
エピローグ 現代の超大国、アメリカ、ロシア、中国の行方
ロシアの返り咲きはありえるのか
中国──人口世界一からの陥落
アメリカ帝国の終わりは不可避なのか
COLUMN
赤字だった中華帝国の朝貢貿易
星占いに従ったオスマン帝国
ハプスブルク帝国は近親婚で滅んだ
チャイナドレスは満洲族が起源
英国で生き続ける「ノブレス・オブリージュ」
ラスプーチンの呪力は本物だったのか

なぜ、トップの無理難題に「ナンバー2」は潰れなかったのか!?組織を強くする秘訣を「天下人の弟」に学ぶ!なぜ秀長が「最強」なのか、その秘密に迫る!
歴史上の人物で、平成生まれの人々がこの令和の苛酷な時代を生きるうえで参考にするとすれば、誰か──筆者は秀吉の弟・豊臣秀長こそ、と考えてきた。……秀長の持ち味は、何より出しゃばることを嫌い、自らが表立つこと、目立つことを恐れ、常に一歩引いて、できるだけ秀吉の影となるように心がけ、“縁の下の力持ち”の分限を守り、自らの職責を消すようにして、この世を去っていった点に特徴があった。(はじめに より)
〈目次〉
はじめに──名もなき庶民から、天下人の補佐役になった「豊臣秀長」
・“逆算”による「自己改善力」こそ、勝ち組の秘訣
・三笘選手に学ぶ“逆算”
・人気者はまずは、木下藤吉郎だった!?
・徳川家康の流行の次が織田信長!?
・令和は豊臣秀長こそ参考になる!
・手強い歴史上の人物を追う方法
・もう一つの秘訣“真似び”こそ、秀長を語るもの
・臆せず恐れずに立ち向かう
第1章 「木下小一郎」の誕生
・父・木下弥右衛門は、そも何者!?
・「木下」姓は何処から来たのか?
・一次史料を補完する二次史料
・小竹時代の秀長の記憶
・秀吉─秀長にいた、別の兄弟姉妹!?
・秀長の妻妾が語るもの
・小一郎の幼少の思い
・秀吉と小一郎の再会
・ゼロから一の示唆
・『祖父物語』が伝えた秀吉の過去
・秀吉が身につけたのは言コミュニケーション語能力
・『武功夜話』が伝える、意外な主従の出会い
・『豊鑑』が語る「あやかしの民」とは!?
・秀吉は後半生で、なぜ城造りに精を出したのか?
・兄が弟を家来とした“奥の手”「後途の勝」
・信長の競争のない未開拓市場
第2章 薫陶を受ける「木下小一郎長秀」
・「楽市楽座」が創った傭兵集団
・名前だけの組頭代理
・歴史心理学で足軽の“弱味”を握った!?
・補佐役の目指す「欲求段階」は何段階!?
・最初の恩人・蜂須賀小六
・秀吉が用いた「自己開示」とその逆
・小六を落とした「物語の黄金律」
・人生遅咲きの極意
・秀吉─秀長兄弟、東美濃調略へ乗り出す
・藤吉郎の“一夜城”作戦
・秀吉─秀長兄弟、竹中半兵衛を知る
・無欲の人、半兵衛の出自
・稲葉山城乗っ取りの真相
・墨俣一夜城に欠かせぬ思慮
・“好漢”丹羽長秀
・“縁の下の”小一郎の活躍
・苦心惨憺の“借金を質に置く”城代の代理
・秀吉─秀長の弱点
・小一郎、竹中半兵衛に出会う
・竹中半兵衛に似る小一郎
・稲葉山落城
第3章 「羽柴小一郎長秀」裏方奮戦記
・下布武〟を目指して
・信長のあり得ない人材登用と伊勢進攻
・組頭たちの怒りに、小一郎は……
・遣り甲斐の根源を求めて
・「且坐喫茶」の意味したもの
・一休の真意を受け継いだ珠光
・伊達政宗の感懐と数寄者、伊勢を侵攻す
・大軍に戦略は不要
・信長上洛の旨み
・信長流統治法
・中途半端な将軍の苛立ち!?
・秀吉が陥った「失敗回避方略」
・「失敗回避方略」から逃れる方法
・天下布武の躓き
・理詰めの対浅井戦略
・姉川の合戦から“反織田包囲網”結成まで
第4章 豊臣兄弟の天下統一事業
・“飴と鞭”の対朝廷政略
・光秀、先駆けて“一城の主”となる
・羽柴秀吉の誕生と将軍の追放
・信長昇進の舞台裏
・信長は太政大臣を目指していた!?
・信長は院政を、秀吉は関白を目指していた!
・小一郎の家族団欒
・秀長の愛弟子・藤堂高虎、現わる
・「呉下の阿蒙に非ず」
・高虎の大出世
・秀吉─秀長兄弟は、信長の横死を予知していた!?
・“前兆”を読むためには……
・譴責を受けて失脚した佐久間信盛
・黒田官兵衛を取り込んだ秀吉の人材吸収術
・恐怖が信長の判断を狂わせた!?
・信念が“加点人事”を呼ぶ
・高松城を陥落させたコロンブスの卵
・秀吉“後途の勝”の集大成が高松城攻め
・本能寺の変の真相
・“中国大返し”を成功させたのは信長のおかげ!?
・清洲会議で発揮された迂回思考
・武士ゆえの勝家の敗北
・賤ヶ岳勝敗の真相
・秀長は臆病者であったのか!?
・小牧・長久手の戦い勃発す
・勝者は秀吉? それとも家康?
・天下人秀吉に屈服した家康
・四国征伐の総大将
・大和大納言家の誕生と秀長の激務
・戦国の終焉を天下に示す
・秀吉の法螺の先にあったもの
・歴史の真実!?

底辺に沈められた恨み!裏社会から、どう国家を動かしてきたのか?能、お稲荷さん、古事記──日本の伝統はすべて彼らが牛耳っていた!正史では語られないタブーに迫る
・天孫降臨は敗者の逃亡劇
・太子信仰の裏に隠された復讐
・没落した者たちと修験道のネットワーク
・能の源流を築いたのは秦河勝
・近世と古代の差別をつなげた稲荷信仰
〈目次〉
第1章 秦河勝と観阿弥・世阿弥
第2章 八幡信仰はなぜ広がったのか
第3章 天孫降臨に深く関わる秦氏
第4章 太子信仰が生み出された闇
第5章 日本社会の賤民とは何か
第6章 秦氏と「山の民」のネットワーク

●清須会議。秀吉と勝家は和やかな雰囲気。
●秀長の息子は、とんでもない暴君だった?
資料の緻密な読解と考察で、真実を明らかにする本
知っているようで知らない、豊臣兄弟の真実がわかる!
【主な内容】
・秀吉は天皇家の血筋に繋がっていたのか?
・秀吉には知られざる兄弟姉妹がいた?
・秀吉には指が六本あった?
・「猿」と呼ばれた秀吉は鼠にも似ていた?
・「一夜城」「水攻め」は本当にあったのか?
・「中国大返し」は実行可能なのか?
・秀吉は清須会議で三法師を擁立したのか?
・賤ケ岳の戦いの「美濃大返し」は本当か?
・公家でもない秀吉が、なぜ関白になれたのか?
・「最高の補佐役」秀長が不祥事を起こしていた?
・秀長にはどんな家臣がいたのか?
・秀吉はなぜ養子・秀次を死に追いやったのか?
・秀吉は本気で朝鮮・明を征服しようとしていたのか?
天下人・豊臣秀吉と補佐役・秀長兄弟には多くのエピソードがあり、「通説」として知られている。一晩で城を築いた「一夜城」、わずか数日で大軍を移動させた「中国大返し」、柴田勝家と駆け引きを繰り広げた「清須会議」などは、ご存知の方も多いのではないだろうか?ところが、これらの「通説」はどれも間違っている。秀吉は、一晩で城を築いていないし、大軍を同時に移動させていないし、駆け引きもしていないのだ。なぜ、このような嘘だらけの「通説」が生まれたのか、そして真実はどこにあるのか。古今の史料を知り尽くした著者が、豊臣兄弟の真実を解き明かす。
〈目次〉
第1章 秀吉の出自と豊臣家の謎
第2章 武将・秀吉の軍略と政略にまつわる謎
第3章 天下人・豊臣兄弟の謎

フランドル絵画こそがイタリア・ルネサンスを変えた!
エイク、ボス、ブリューゲルに描かれた近代資本主義の闇
副島隆彦氏【推薦&解説】
芸術──
それは真実言論。
絵画のなかには画家たちが生きた時代の真実がこめられているのです。だから、その画家たちの真実を汲みあげることができれば、彼らが生きた歴史の秘密に迫ることができるはずなのです。(中略)
よく、芸術を鑑賞することについて、いろいろな観方があっていいし、そのほうが面白いと言う人がけっこういます。しかし、私はそうは思いません。芸術から直接放射されてくる真実の光をそのまま受け止めなければ、芸術を正しく理解することはできないと思うのです。芸術とは作者にとっての真実をそのまま伝えることのできる最高度のコミュニケーション・ツールなのです。(まえがきより)
〈目次〉
まえがき──芸術は「美」である以上に「真実」
第1章 フランドル絵画がイタリア・ルネサンスの起爆剤となった
第2章 ヤン・ファン・エイクがキリスト教に背を向けた
第3章 謎の画家がボスの奇想という毒の正体
第4章 ブリューゲルは農民作家などではない
第5章 なぜネーデルラントから近代が始まるのか